1968-08-02 第59回国会 衆議院 本会議 第2号
県内の名門校伝習館から第五高等学校を経て、東京帝国大学独法科に学ばれました先生は、在学中、高等文官試験に合格、大正八年卒業後、直ちに内務省に勤務されたのであります。その後、わが国は不況のあらしに襲われ、加うるに大凶作等が重なって、国民生活は極度に疲弊し、失業者が続出して、幾多の社会問題が起こったのでありました。
県内の名門校伝習館から第五高等学校を経て、東京帝国大学独法科に学ばれました先生は、在学中、高等文官試験に合格、大正八年卒業後、直ちに内務省に勤務されたのであります。その後、わが国は不況のあらしに襲われ、加うるに大凶作等が重なって、国民生活は極度に疲弊し、失業者が続出して、幾多の社会問題が起こったのでありました。
松永君は、明治二十四年愛知県海部郡立田村に生まれ、大正六年、東京帝国大学独法科を卒業後、弁護士を開業せられ、かたわら日本社会党の創立、農民組合運動等に尽瘁せられたのでありますが、一方政界に志を立てられ、昭和十二年以来、三回にわたって衆議院議員に当選、その間司法委員長、法務政務次官を歴任せられたのでありますが、こえて、昭和二十五年、参議院議員に当選せられ、大蔵、予算、農林等の各委員、補助金等の臨時特例等